ハワイ・オアフ島ホノルルにある日本語補習授業校

1990 年代

平成2年(1990年)

9月

附属校借用校舎の限界。17学級を越え、中学部4学級をミッドパシフィック校へ移転。

平成3年 (1991)

4月 文部省派遣教員・武井澄夫(長野県)、校長として着任。
6月 「海外で学ぶ子供の教育」講演会。外務省大臣官房人事課子女教育相談室長、土方敏夫先生。
9月 児童・生徒500名を突破。小6年2学級がミッドパシフィック校移転。

平成4年(1992)

2月 附属校改築工事のため3教室減で、小5年2学級がミッドパシフィック校へ移転。
4月 小4以上がミッドパシフィック校へ移転し、学級数は幼5学級、小学15学級、中6学級、計503名・26学級。他に日本語教室3学級。
6月 第2回JTB日本教育視察団に教員・相馬恭子派遣される。
7月 鳩山文部大臣訪問。携帯用アンプ寄贈される。
10月 中学部生徒会発足。正副会長に村田偉基、斎藤岳。学級・図書・美化・風紀・新聞の各委員会できる。

平成5年(1993)

4月 入学式。幼95名・6学級、小学314名・16学級、中学88名・6学級、計497名・28学級。他に日本語教室2学級。
4月 文部省派遣教員・高浦明弘(千葉県)、教頭として着任。
6月 第3回JTB日本教育視察団に教員・楠本久子派遣される。
8月 借用校舎を公立カイムキ中学校へ、事務所をユニバーシティースクエアへ移転する。
10月 進路講演会。校舎移転のため、運動会中止。

平成6年(1994)

4月 文部省派遣教員・松田幸造(三重県)、校長として着任。
4月 入学式。幼93名・6学級、小学298名・15学級、中学76名・4学級、計467名・25学級、他に日本語教室2学級。
10月 教育講演会。外務省大臣官房人事課子女教育相談室長、土方敏夫先生。「海外子女教育・帰国子女教について」

平成7年(1995)

1月 4月より文部省の研究指定校となることが内定。新コース学級の発足が理事会で承認される。新コース学級編制説明会。
4月 入学式。幼80名・5学級、小学274名・13学級、中学82名・3学級、新コース・(複式3学級40名)、計436名・24学級。
4月 文部省派遣教員・堤慎二郎(滋賀県)、研究加配として派遣(派遣教員1名増)。
4月 新コース学級発足(これに伴い日本語学級は廃止)。文部省研究指定1年目。
4月 財政基盤確立のため、後援会活動と称して募金活動開始。
5月 教育講演会。大学入試センター教授、小野博先生。「バイリンガルの科学」
6月 教育講演会。ストラウブ病院心理科、丸屋真也先生。「ハワイでの子育て」
12月 浦上憲成事務長退職。

平成8年(1996)

3月 高浦明弘教頭帰任(交代者なし)。
4月 児童生徒数減少のため、派遣教員1名減員。
4月 堤慎二郎、理事会より教頭委嘱。
4月 新コースをレインボースタンダード(RS)コースと名称変更。
従来型学級はジャパンスタンダード(JS)コースとする。
4月 入学式 幼68名・4学級、小学238名・13学級、中学66名・3学級、RSコース・(複式4学級53名)、計425名・24学級。文部省研究指定2年目。
4月 「後援会」の名称を「フレンズ・オブ・ザ・レインボー学園」と改め、募金活動継続。
9月 下吉陽子事務長就任。

平成9年(1997

4月 入学式 幼59名・4学級、小学242名・14学級、中学92名・5学級(内RSコース62名・複式4学級)、計393名。生徒数の大幅な減少が続く。
4月 教育講演会。作家、都築道夫先生。「文づくりのこつ、子供の作文指導上のポイント」
5月 「フレンズ・オブ・ザ・レインボー学園」 募金活動。

平成10年(1998

3月 松田幸造校長、堤慎二郎教頭(後任者なし)帰任。
4月 文部省派遣教員・白石謙二(徳島県)、校長として着任。
4月 入学式。幼60名・4学級。小学224名・12学級、中学96名・6学級、計380名。(内Rコース49名・複式4学級)
5月 小学2年と6年を2クラスに再編する。
6月 「フレンズ・オブ・ザ・レインボー学園」 募金活動。

平成11年(1999

4月 JコースとRコースを統合し、新学級編制発足。新たに選択制を導入。
4月 入学式。幼69名・4学級。小学229名・13学級。中学89名、計387名。
5月 中2修学旅行(ハワイ島)実施。
6月 小6修学旅行(オアフ島)実施。
8月 小学2年を3クラスに再編する。
9月 紀宮殿下学校訪問。